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第4号発行

だれにも見られないかもしれないと思うとスリリングだ。

 

発行している文芸誌が4号に到達した。

たったの4。

それでもせいいっぱいの4。

 

続けることは大変だという当たり前のことを学んでいる。声をかける。提案する。募集する。連絡する。編集する。校正する。事務作業をする。告知する。印刷所に頼む。お金を出す。発送する。歩き回って頭を下げる。家に帰って眠る。朝がくる。

 

続けることは大変だ。

それでも、私が勝手に、好きではじめたことなのだから。

文芸誌・文学と汗。執筆陣たちの作品がしっかり届くように尽くすのは当たり前。

 

しかし、それでも、だれにも見られないかもしれないと思うと、スリリングだ。

 

インターネットの片隅に書かれた、無料ホームページサービスが提供していたブログの短い記事。創作物を公開するサイトを運営していた、数多のハンドルネームたち。彼女ら彼らの文章や絵はいったいどこへ消えたのだろう。404、サーバーが見つかりません。このサイトIDは存在しません。工事中です。

跡形もなく消えてどこにも繋がっていない作品たち。

テキストの亡霊。JPEGの幻肢痛。

 

わたしは00年代のアマチュアたちの、命の叫びを直接聴いてきたから、肩入れしてしまっているのだろうか。

 

そうだとしても、もういい。

個人的なものとしての文章、誰に頼まれたわけでもない絵、そんな作品しか持ち得ない生々しい手触りがわたしは好きだ。

 

文学とは何だろうか。

文学は本質的なものかそうでなければなにものでもなく(by ジュルジュ・バタイユ)、つまり役立たせようとするものではない。

文学と汗にルビを振るとしたら「イペルモラルとモラトリアム」だなぁと、以前ポロポロ書店さんで配られるポロポロ新聞に寄稿した際に投げやりなかんじで書いたが、今もそう思っている。

超道徳と猶予期間。

時間をあたえられたら、人間は何をするのだろうか。

 

みじかい人生のわずかな猶予を文学に捧げる人に、とことん興味がある。その頭のなかに渦巻いているであろう超道徳が知りたい。

 

だから書いてほしいんです、わたし。